モバイル注文が生む受注のデータを見過ごす店が仕組みを入れてもなお売上の伸び悩みから抜け出せない警告
モバイル注文を据えただけで満足する店が受注データを見過ごす落とし穴
手元の端末から料理を頼めるモバイルオーダーの仕組みを店に据えつけたその瞬間に、これでもう客を待たせるという長年の悩みはすっかり片づいたのだと胸をなでおろし、そこから先の歩みをぴたりと止めてしまう店が、いま静かにその数を増やしているように見受けられますので、まずはその落とし穴に向き合っておきたいと思います。
仕組みを入れることそのものは、確かに客の待ち時間を縮め、厨房の慌ただしさをやわらげてくれる確かな一歩ではあるのですが、それはあくまで長い道のりのほんの入り口にすぎず、そこで満足しきって足を止めてしまえば、せっかく整えた仕組みは持てる力の半分ほどしか働かないまま、店の隅で静かに眠り続けることになってしまいます。
見落とされがちなのは、モバイル注文という仕組みが、料理を運ぶという役目を果たすかたわらで、いつ何がどれだけ頼まれたのかという受注の記録を、日々こまやかに、しかも自動で書き留め続けてくれているという、もう一つの大きな値打ちを静かに抱えているという事実であり、ここにこそ店の伸びしろが眠っているのです。
ところが、その受注の記録を一度もきちんと開いて眺めることのないまま、ただ注文をさばくためだけの道具として仕組みを使い続けている店は、目の前の一日をこなすことには成功していても、明日をより良くするための手がかりを、みずからの手で毎日みすみす取りこぼし続けているのだと言わざるを得ません。
仕組みを入れた当座は、店頭の行列が目に見えて短くなり、注文の取り違えも減っていくため、多くの店主はその手応えにすっかり満ち足りてしまい、これ以上あえて手を加えるべきことなど残っていないのだと、いつしか思い込むようになっていきます。ここに伸び悩みの芽が静かに宿っているのです。
周りを見渡してみますと、同じ時期に同じような仕組みを取り入れながら、一方の店はじわじわと客足を伸ばし続け、もう一方の店はどうにも横ばいから抜け出せずにいるという、くっきりとした明暗の分かれ目が、あちらこちらの現場で生まれ始めており、その差はけっして偶然や運によるものではありません。
両者を分けている本当の境目は、仕組みそのものの出来栄えや導入にかけた費用の多寡ではなく、そこに毎日積もっていく受注のデータを、伸びる店はこまめに開いて次の一手へと生かしているのに対し、伸び悩む店はそれをただの記録として放置してしまっているという、日々の向き合い方の違いにこそあるのです。
データを使うといいますと、いかにも専門の込み入った知識や高価な道具がなければ手が出せない難しいことのように身構えてしまう店主も少なくないのですが、実のところ、その入り口はもっと身近で素朴なものであり、まずは自店の受注の記録をありのままに眺めてみるという、ささやかな一歩から始まるのです。
仕組みを入れさえすれば客はひとりでに増え続けてくれるはずだという、どこか他人任せの淡い期待は、残念ながら現実にはなかなか叶ってはくれず、仕組みが集めてくれた材料を店の側が主体的に読み解き、日々の運びへと結びつけてこそ、はじめてその真価が引き出されるのだということを、まず心に留めておく必要があります。
食事を出すという商いは、ただ良い料理をこしらえて客の前に差し出すだけで完結するものではなく、いつ、どのような客が、何をどれだけ求めているのかという移ろいゆく需要の姿を、絶えず読み取り続けながら、店の構えをそれに合わせて細やかに整えていくという、地道な調整の連なりの上に成り立っているものです。
その需要の姿を読み解くための、これ以上ないほど正直で偏りのない材料が、ほかならぬ手元の仕組みに日々積もっていく受注のデータであるにもかかわらず、その宝の山を素通りしてしまうというのは、いわば足元に湧き出している清水に気づかず、遠くまで水を汲みに出かけているようなもったいなさだと言えます。
この記事では、受注のデータを見過ごしたままモバイル化を進めた店が、なぜ思い描いたほどには伸びていかないのか、その裏側でいったい何を失い続けているのかを、まずはできるだけ具体的に解きほぐしたうえで、そこから抜け出すための実際的な手立てを、順を追って落ち着いて整理していきたいと思います。
あらかじめお伝えしておきたいのは、これは決してデジタル化そのものを否定したり、後ろ向きにおびえさせたりするための話ではないということであり、むしろ、せっかく踏み出した一歩をしっかりと実りへ結びつけ、店の未来を明るく開いていくための、前向きで実用的な注意喚起としてお読みいただきたいということです。
見過ごされた受注データの奥に眠っていたはずの売上の芽
受注のデータを開かずに放置している店が、いったい日々どれほどのものを静かに取りこぼしているのかは、当の店主自身の目にはほとんど映らないまま過ぎていくのが常であり、失われているものが見えないからこそ、痛みも危機感も湧いてこないという、この気づきにくさこそが最も厄介なところだと言えます。
たとえば、ある一品が毎日決まった時間帯に集中して頼まれているという確かな傾向が、受注の記録の中にははっきりと刻まれているのに、それを読み取っていない店は、その時間帯に材料を切らして販売の機会を逃したり、逆にがらんとした時間帯に作りすぎて廃棄を出したりといった無駄を、気づかぬまま繰り返してしまいます。
客がひとつの注文にどれだけの品を組み合わせて選んでいるのかという、客単価の細やかな内訳もまた、受注のデータの中には一件ずつ余さず記されているのですが、それを眺めない店は、あと一品を無理なく勧める余地がどこにどれだけ残されているのかを見極めることができず、伸ばせたはずの売上を静かに見送り続けます。
どの品とどの品が一緒に頼まれやすいのかという組み合わせの癖も、記録を丹念にたどれば自然と浮かび上がってくるものであり、その知見を生かせば、注文の画面上でさりげなく相性の良い一品を添えて提案することもできるのに、データを見ない店にはその手がかりそのものが存在しないに等しくなってしまいます。
新しく品書きに加えた料理が、はたして客に受け入れられているのか、それとも静かに敬遠されているのかという肝心の手応えも、受注の数字を追っていればひと目で見て取れるものですが、それを確かめない店は、伸びない品をいつまでも棚に残し、逆に人気の品を早々に外してしまうといった判断の誤りを犯しがちです。
曜日や天候によって注文の中身がどう移り変わっていくのかという移ろいの型も、記録を積み重ねていけばおのずと見えてくるものであり、それを読み解いていれば、雨の日には温かな一品が求められ、週末には家族向けの品が伸びるといった先読みのもとに、仕込みの量をあらかじめ加減しておくことができるのです。
一度来店してくれた客が、その後ふたたび店を選んでくれているのか、それとも一度きりで去ってしまっているのかという再来のありようも、仕組みを通した注文の記録をたどれば、おぼろげながらもその輪郭が浮かんでくるものであり、常連が静かに離れ始めている兆しを、手遅れになる前に察することも十分に可能となります。
こうした無数の手がかりが、受注のデータの中には毎日惜しみなく積もり続けているにもかかわらず、それを開こうとしない店は、まるで詳しい道案内を手にしていながら地図を広げず、勘だけを頼りに見知らぬ土地をさまよい歩いているようなもので、たどり着けたはずの目的地から少しずつ遠ざかっていってしまいます。
とりわけ惜しいのは、これらの手がかりが、わざわざ費用をかけて別に調べに出かけずとも、すでに店の仕組みの中に無料で、しかも日々自動で蓄えられ続けているという点であり、あとはただそれを開いて眺めるという、ほんのひと手間をかけるかどうかだけが、伸びる店と伸び悩む店とを分ける境目になっているのです。
データを見ない店が失っているのは、単に目先の売上の一部だけにとどまらず、客が今この瞬間に何を求めているのかを正しくとらえ、それに応え続けることで少しずつ育っていくはずだった信頼と、その積み重ねの先にあったはずの店の確かな成長の道筋そのものであると、私は考えています。
しかも、こうして取りこぼされた芽は、あとから振り返って一気に取り戻すということがなかなか難しく、その日その日に読み取って手を打っていれば静かに花開いていったはずの機会が、時とともに音もなく消えていってしまうため、放置している期間が長引くほど、失われるものは雪だるまのように膨らんでいきます。
言い換えれば、モバイル化によって仕組みを入れたにもかかわらず伸び悩んでいる店の多くは、伸びるための材料をすでに手にしているのにそれを使っていないだけであり、裏を返せば、その材料に目を向けさえすれば、いまからでも十分に流れを変えていける余地が、まだたっぷりと残されているということでもあるのです。
ですから、まずは自店がどれほどの手がかりを毎日みすみす取りこぼしているのかを、いちど正面から見つめ直してみることが、伸び悩みの霧を晴らす何よりの出発点になると申し上げたいのです。失っているものの大きさに気づくことは、決して後ろ向きな話ではなく、伸びしろの大きさを知るということでもあるからです。
データを使わない店に共通してしみついている思い込みの型
受注のデータを使わないまま伸び悩んでいる店には、業種や規模の違いを越えて、いくつかのよく似た思い込みが根深くしみついていることが多く、その型をあらかじめ知っておくことは、自店が同じ落とし穴にはまっていないかを点検するうえで、たいへん役に立つ手がかりになると考えています。
まず最もありふれているのが、長年の経験と勘さえあれば数字などわざわざ見なくても店は回せるという、いかにも職人気質の店主が抱きがちな自負であり、確かに経験は尊いものではありますが、それだけに頼りきってしまうと、移ろいゆく客の求めの変化に気づくのが、どうしても一歩も二歩も遅れてしまいます。
次によく見られるのが、データを扱うというのは専門の知識を持った限られた人だけができる特別な仕事であって、自分のような現場の人間には縁遠いものだという、必要以上に身構えた苦手意識であり、この思い込みが、本来ならごく素朴に始められるはずのデータとの付き合いを、入り口の手前で押しとどめてしまいます。
仕組みを入れたのだから、面倒な分析などは仕組みのほうが勝手にやってくれるはずだという、どこか受け身の期待もまた、伸び悩む店に共通してよく見られる型であり、道具はあくまで材料を集めて差し出してくれるだけで、それをどう読み解き、どう生かすかは店の側の仕事なのだという当たり前の役割分担が、見落とされています。
日々の営業があまりに忙しく、目の前の注文をさばくだけで一日が終わってしまうため、記録を開いて眺めるようなひと手間は、どうしても後回しにできてしまう性質のものだと軽んじてしまうのも、しみついた型の一つであり、緊急ではないけれど大切なことが、緊急なことに押しのけられ続けるという構図が、そこにはあります。
数字を見ると、うまくいっていない部分がありありと突きつけられてしまい、それがどこか気の重い、直視したくないものに感じられるという、うっすらとした心理的な後ずさりもまた、店主を記録から遠ざける見えない力として働いており、都合の悪い事実からそっと目をそらしたいという人情が、そこには絡んでいます。
データを見ずとも、店の前を歩く人の数や店内の混み具合といった、目に見える手応えだけを頼りに判断していれば十分だという思い込みも根強いのですが、目に映る印象というのは往々にして偏りを含んでおり、印象と実際の数字とが食い違っていることは、いざ記録を開いてみると驚くほど頻繁に起こるものなのです。
一度きちんと分析の仕組みを整えようとすると、多くの費用と時間がかかってしまうに違いないという、始める前からの過大な見積もりも、店主の足を重く引きとめる型の一つであり、実際には手元にある表計算の道具や仕組みに備わった集計の機能だけでも、始めの一歩としては十分に事足りるものなのです。
こうした思い込みに共通しているのは、いずれもそれ自体としては一見もっともらしく響き、当の店主にとっては自分を守るための無理からぬ言い分に感じられてしまうという点であり、だからこそ、それらが伸び悩みの本当の原因になっているのだとは、なかなか自分では気づきにくいという、厄介な性質を帯びています。
けれども、落ち着いて一つずつ解きほぐしてみますと、そのどれもが、実際にやってみる前の思い込みや漠然とした不安に根ざしたものであって、いざ小さく始めてみさえすれば、案外あっけなく乗り越えられてしまう性質のものであることが、多くの場合はっきりと分かってくるものなのです。
大切なのは、これらの型を、自分を責めるための材料として重く受け止めるのではなく、多くの店が通り過ぎていく自然なつまずきの一覧として、いわば注意すべき道しるべとして眺めることであり、そうすれば、自店がいまどの思い込みに足を取られているのかを、落ち着いて冷静に見きわめることができるようになります。
そして、これらの型のいずれか一つでも心当たりがあるのなら、それはむしろ喜ばしい兆しとして受け止めていただきたいのであり、なぜなら、伸び悩みの原因が仕組みそのものの限界ではなく、日々の向き合い方という、店の意思しだいでいくらでも変えていける部分にあると分かった、ということにほかならないからです。
次の節からは、こうした思い込みの型からそっと足を抜き、手元の受注のデータが実際に何を静かに語りかけているのかへと耳を澄ませていくために、まずはそのデータの中からどのような店の実像が読み取れるのかを、できるだけ具体的な場面に即して、順を追って見ていくことにいたします。
受注のデータが静かに語りかけている自店のありのままの実像
手元の仕組みに毎日積もっていく受注のデータは、言葉こそ発しませんが、店のありのままの姿を、飾ることも偽ることもなく、実に正直に映し出してくれる鏡のようなものであり、その鏡をのぞき込みさえすれば、日々の営業の慌ただしさの中では見えてこない自店の実像が、静かに、しかしくっきりと浮かび上がってきます。
まず読み取れるのが、一日のうちで注文がどの時間帯に山をなし、どの時間帯に谷となって沈むのかという、需要の起伏のかたちであり、この起伏が分かれば、忙しさが集中する山の頂に向けてあらかじめ備えを厚くし、静かな谷の時間には無理のない構えへと切り替えるという、めりはりのある店の運びが描けるようになります。
次に見えてくるのが、どの品がよく選ばれ、どの品が棚の隅で静かに眠っているのかという、品ぞろえごとの人気の濃淡であり、この濃淡を正しくつかめば、支えとなる看板の一品を大切に磨きながら、伸び悩む品には手を入れるか、思い切って場所を譲るかを、思い込みではなく確かな根拠のもとに判断できるようになります。
一件ごとの注文が、いくつの品からどのように組み立てられているのかという中身をたどっていくと、客がどのような組み合わせでその日の食事を選んでいるのかという、暮らしの一場面までもがおぼろげに透けて見えてきて、そこから、あと一品をどのように無理なく添えていけるのかという工夫の糸口が、自然とほどけてきます。
曜日ごとに注文の傾向がどう移ろっていくのかを並べてみますと、平日と週末とで求められる品ががらりと入れ替わっていたり、週のなかばに特定の一品が伸びていたりといった、日々の忙しさの中では埋もれて見えなかった規則正しい波が、思いのほかはっきりとした輪郭をもって浮かび上がってくることに驚かされます。
季節の移ろいとともに注文の中身がどう変わっていくのかという、より長い目で見た流れも、記録を月ごとに積み重ねていけばやがて姿を現し、暑い時期に伸びる品と寒い時期に求められる品との交代の潮目を、あらかじめ予感しておくことで、仕入れや品書きの衣替えを、後手に回らず先んじて整えていくことができます。
天候の変化と注文の増減とを重ね合わせてみますと、雨の日には店へ足を運ぶ客が減るぶん手元からの注文が伸びるといった、天気と需要とのあいだに横たわるつながりが見えてくることもあり、その関わりをつかんでおけば、空模様をあらかじめ眺めながら、その日の構えを柔らかく整えておくことができるようになります。
一度限りで去っていった客と、幾度も足を運んでくれている客との割合を追いかけていくと、店がいま新しい客をつかむことに長けているのか、それとも一度つかんだ客を離さずに育てることに長けているのかという、店の体質のようなものまでもが浮かび上がってきて、次に力を注ぐべき方向を見定める助けとなってくれます。
こうしてデータが語りかけてくる実像は、ときに店主が長年思い描いてきた店の姿とは食い違っていることもあり、よく出ていると信じていた品が実はさほど伸びていなかったり、静かだと思い込んでいた時間帯が案外にぎわっていたりと、思い込みがそっと覆される瞬間に立ち会うことも、決してめずらしくはありません。
その食い違いに出会ったとき、それを気まずいものとして退けるのではなく、これまで見えていなかった真実に光が当たった好機として受け止めることができれば、店はそこから、思い込みに縛られていた頃には決してたどり着けなかった、新しい打ち手へと自在に踏み出していけるようになります。
大切なのは、これらの実像を、難しい専門の手法を駆使して初めて読み取れるような高尚なものと構えすぎないことであり、その多くは、記録を時間帯ごとや品ごとに素朴に並べ替えて眺めるだけでも、驚くほどはっきりと見えてくるものであって、はじめの一歩に必要なのは高度な技術ではなく、素直に眺めてみる姿勢なのです。
モバイルオーダーという仕組みが、注文をさばくかたわらでこれほど豊かな店の実像を静かに描き出し続けてくれているという事実は、それ自体が、この仕組みの持つもう一つの大きな値打ちであり、その値打ちに気づいて活かすかどうかが、伸びる店と伸び悩む店とを静かに分けていくのだと、あらためて申し上げたいのです。
では、こうして読み取った実像を、どのようにして日々の店の運びへと結びつけていけばよいのか、その具体的な手立てへと話を進めていく前に、まずはそもそもの出発点として、散らばった受注の記録をどう集め、どう眺め始めればよいのかという、いちばん初めの一歩から、順を追って丁寧にたどっていくことにいたします。
まずは受注の記録を集めて素直に眺めるところから始める段取り
受注のデータを生かすと申しますと、いかにも大がかりな仕組みを新たに組み上げなければならないかのように身構えてしまいがちですが、実際の出発点はもっとつつましいものであり、まずは手元の仕組みにすでに積もっている受注の記録を、ありのままにそっと開いて眺めてみるという、ごく素朴な一歩から始まります。
最初にすべきことは、日々の注文の記録が、いつ、どの品が、いくつ頼まれたのかという最も基本の形で、きちんと後から取り出せるようになっているかを確かめることであり、多くの仕組みには、こうした記録をまとめて書き出す機能があらかじめ備わっているものですので、まずはその在りかを落ち着いて探してみることです。
記録が取り出せることを確かめたら、次は、それを日ごと、あるいは時間帯ごとに素直に並べ替えて、注文の数がどのように移り変わっているのかを、ただ眺めてみることから始めます。この段階では、難しい計算も込み入った手法も一切必要なく、数字の並びを目で追うだけでも、思いのほか多くの気づきが得られるものです。
眺める際に一つだけ心がけておきたいのは、はじめから完璧に何もかもを読み解こうと欲張らないことであり、まずは一つだけ、たとえば時間帯ごとの注文の山と谷はどこにあるのか、という素朴な問いを立てて、その答えだけを探すつもりで記録に向き合うと、途方に暮れることなく、無理なく一歩目を踏み出せます。
一つの問いに答えが見えてきたら、次はもう一つ、どの品がよく選ばれているのか、という別の問いを立てて、また記録を並べ替えてみる、というように、小さな問いと答えを一つずつ積み重ねていくのが、無理なく続けていくための何よりの秘訣であり、この積み重ねが、やがて店の実像をくっきりと形づくっていきます。
手元に特別な道具がなくとも、身近にある表計算の道具さえあれば、記録を並べ替えたり、合計を出したり、簡単な図に描いてみたりといった作業は十分にこなせるものであり、まずは、いま手元にあるものだけで始めてみるという割り切りが、始める前の身構えを解きほぐすうえで、たいへん大きな助けになってくれます。
眺めるための時間は、忙しい営業の合間に無理にひねり出すのではなく、たとえば週に一度、店を閉めた後の落ち着いたひとときに、決まった短い時間を割り当てるというように、あらかじめ日々の段取りの中へそっと組み込んでおくことが、続けていくうえでは何よりも効いてくるということを、強くお伝えしておきたいと思います。
記録を眺めていて何か気づきが得られたら、それがどれほど小さなものであっても、書き留めておく習慣をつけておくと、後になって振り返ったときに、その気づきが確かな傾向だったのか、それともたまたまの偶然にすぎなかったのかを見分ける手がかりになり、一つひとつの発見が着実に店の財産として積み上がっていきます。
はじめのうちは、読み取った傾向が本当に確かなものなのか、自信を持ちきれずに迷うことも多いかと思いますが、そうしたときは、同じ傾向が幾週にもわたって繰り返し現れているかどうかを気長に見守っていけばよく、偶然ならばやがて消えていき、確かな傾向ならば繰り返し姿を現してくれますので、あわてる必要はありません。
数字を眺めることに少しずつ慣れてきたら、次の段階として、二つの事柄を重ね合わせて眺めてみる、たとえば曜日と品の売れ行きを並べてみるといった、一歩進んだ見方へと自然に踏み出していけばよく、こうして少しずつ視野を広げていくことで、店の姿はいっそう立体的に、豊かに見えてくるようになっていきます。
この段取りで何よりも大切なのは、一度きりの大がかりな分析で全てを解き明かそうとするのではなく、小さく眺めることを日々の営みの一部として淡々と続けていくという姿勢であり、地味ではあっても絶えることのないこの繰り返しこそが、やがて店を確かな成長へと導いていく、静かで力強い土台になってくれます。
そして、こうして記録を眺めることが日々の当たり前になってくると、これまで漠然とした勘だけに頼っていた判断の一つひとつに、確かな数字の裏づけが添えられるようになり、店主自身の胸の内にも、根拠に支えられた落ち着いた自信が、少しずつ育っていくのを感じられるようになってくるはずです。
次の節では、こうして眺めることを通して読み取った傾向や気づきを、いよいよ実際の店の運びへと結びつけ、仕入れや品ぞろえや人の配し方といった、日々の具体的な決めごとの中へどのように生かしていけばよいのかを、場面に即しながら順を追って、より踏み込んで見ていくことにいたします。
読み取った兆しを仕入れと品ぞろえと人の配し方へと橋渡しする
受注のデータを眺めて何らかの傾向を読み取れたとしても、それが眺めるだけで終わってしまっては、店の実際の姿は何一つ変わってはくれず、大切なのは、読み取った兆しを、仕入れや品ぞろえや人の配し方といった、日々の具体的な決めごとの中へと確かに橋渡ししていくことにこそあると、まず申し上げておきたいと思います。
最もわかりやすい橋渡しの一つが、仕入れの量を注文の傾向に合わせて整えていくことであり、どの品がどの曜日にどれだけ求められやすいのかという読みがあれば、需要の高まる日に向けて材料を厚めに備え、静かな日には控えめに抑えるという加減ができ、切らして機会を逃すことも、余らせて廃棄することも減らせます。
品ぞろえの見直しもまた、データを生かす格好の場面であり、伸び悩んでいる品をいつまでも惰性で棚に残すのではなく、思い切って手を入れるか場所を譲るかを、確かな数字を根拠に判断できるようになれば、限られた品書きの一枠一枠が、より多くの客に選ばれる実りある構えへと、少しずつ磨かれていくことになります。
よく一緒に頼まれている品の組み合わせが分かれば、それを注文の画面の上でさりげなく寄り添わせて見せることで、客が自然な流れの中で、もう一品を無理なく選びやすくなるように整えることもでき、押しつけがましくならない範囲での、こうした心づかいの積み重ねが、一件ごとの注文をゆるやかに豊かにしていってくれます。
人の配し方についても、時間帯ごとの注文の山と谷が読めていれば、忙しさが集中する頂の時間には手を厚くし、静かに沈む谷の時間には無理のない構えへと切り替えるという、めりはりのある人員の整え方ができるようになり、働く人にとっても、忙しさの波にほんろうされることの少ない、落ち着いた現場が整っていきます。
新しい品を試しに品書きへ加えたときには、その後の注文の伸びを丹念に追いかけることで、その品が客に受け入れられているのかどうかを、思い込みではなく数字で見きわめることができ、うまくいけば大切に育て、いま一つならば潔く手直しするという、身軽で確かな試行錯誤を、恐れることなく重ねていけるようになります。
季節の移ろいに合わせた品書きの衣替えも、過去の同じ時期の注文の傾向を手がかりにすれば、勘だけに頼って後手に回るのではなく、需要が動き出すよりも一歩先んじて構えを整えておくことができ、旬の巡りに乗り遅れることなく、その時季ならではの食事の楽しみを、ちょうど良い頃合いで客へ届けていけるようになります。
こうした一つひとつの橋渡しは、どれも一度きりで完結するものではなく、手を打った後にその結果がまた新たな受注のデータとして積もっていき、それをふたたび眺めて次の一手へとつなげていくという、読み取っては手を打ち、手を打ってはまた読み取るという、絶えず巡り続ける輪の中で、少しずつ精度を高めていくものです。
この巡る輪を根気よく回し続けていくうちに、店の構えは、移ろいゆく客の求めに寄り添うかたちへと、少しずつ、しかし確かに整えられていき、気づいたときには、仕組みを入れただけで足を止めていた頃には決して届かなかった場所まで、店が着実に歩みを進めていることに、店主自身が驚くことになるはずです。
ここで一つ心に留めておきたいのは、すべての傾向にいちどきに手を打とうと焦る必要はないということであり、まずは最も効き目の大きそうな一つに的を絞って手を打ち、その手応えを確かめてから次へ進むという、一歩ずつの進め方が、無理なく、しかも着実に成果を積み上げていくうえでは、かえって近道になってくれます。
また、手を打った結果が思ったほど実らなかったとしても、それを失敗として重く受け止める必要はまったくなく、その一手がうまくいかなかったという事実もまた、次にどう動けばよいのかを教えてくれる貴重な手がかりであり、データを生かすとは、こうした学びを恐れずに積み重ねていく営みそのものにほかなりません。
仕組みが集めてくれた材料を、こうして日々の運びへと丹念に橋渡ししていく店は、同じ仕組みを入れながらそれを眠らせている店とのあいだに、時が経つほどにくっきりとした差を広げていき、その差は、けっして仕組みの性能の違いではなく、材料を生かしきったかどうかという、日々の姿勢の違いから生まれてくるものなのです。
次の最後の本編では、こうしてデータを生かしていくうえで、決して数字だけに頼りきってしまわないための心得と、この取り組みを息長く続けていくための構えについて、いくつかの注意点を交えながら、前を向いて歩み続けるための落ち着いた道しるべを、あらためて整理しておきたいと思います。
数字だけに頼りきらず現場の目と合わせて長く続けていく心得
受注のデータを日々の運びへ生かすことの大切さをここまで重ねて申し上げてまいりましたが、その一方で、数字だけをすべての拠りどころとして頼りきってしまうこともまた、別の落とし穴へとつながりかねないということを、最後にあらためて、そして正直にお伝えしておかなければならないと考えています。
数字というのは、確かに店の姿を正直に映し出してくれる強力な鏡ではあるのですが、それはあくまで、過去に起こったことの記録であって、これから客が何を求めるようになっていくのかという、まだ数字には現れていない小さな変化の兆しまでを、必ずしも先んじて教えてくれるわけではないという限りを抱えています。
店頭で客が漏らすふとしたひと言や、料理を受け取るときに浮かべる表情、あるいはなんとなく感じ取る店の空気といった、数字にはけっしてすくい取れない現場ならではの手ざわりは、いまなお店を営むうえでかけがえのない手がかりであり続けており、数字はそれに取って代わるものではなく、それを補い支えるものなのです。
ですから、めざすべきは、数字と現場の感覚とのどちらか一方を選び取ることではなく、その両方を突き合わせ、数字が示す傾向を現場の肌感覚で吟味し、現場で得た気づきを数字で裏づけるという、二つの目で店を見つめる構えであり、この両輪がかみ合ってこそ、判断はいっそう確かで、しなやかなものになっていきます。
数字を過信するあまり、そこに現れた傾向だけを機械的になぞって、目の前の客一人ひとりの事情に目を向けなくなってしまえば、かえって店から温かみが失われ、せっかく積み上げてきた信頼をすり減らしかねませんので、数字はあくまで客をより深く理解するための入り口なのだという心構えを、忘れずにいたいものです。
この取り組みを長く続けていくうえでもう一つ大切なのが、成果を焦りすぎないことであり、データを生かした手立ての効き目は、多くの場合すぐには表れず、幾週も幾月もかけて少しずつ滲み出てくるものですので、短い期間で結果が見えないからと投げ出さず、気長に巡る輪を回し続ける根気が、何よりものを言います。
また、この営みを店主ひとりで抱え込もうとすると、いつしか負担が重くなって続かなくなってしまいがちですので、読み取った気づきを働く仲間と分かち合い、みなで一緒に眺めて語り合う習慣を育てておくと、多様な目が加わることで気づきの幅が広がるうえに、取り組みそのものが店に無理なく根づいていってくれます。
仕組みや、それを取り巻く技術は、これからも絶えず新しく移り変わっていくものですので、いま整えたやり方に安住してしまうのではなく、より手軽に、より深く受注のデータを生かせる新しい道具や工夫が現れたなら、身構えすぎずにそれを取り入れていく、しなやかな柔らかさもまた、長く続けていくうえでは欠かせません。
ここまで、データを使わない店が伸び悩む危うさについて、いくつもの角度から注意を重ねてまいりましたが、その根っこにあるのは、けっして脅しでも悲観でもなく、店にはまだ気づかれていない伸びしろがたっぷりと残されているのだという、むしろ希望に満ちた前向きな知らせなのだということを、強調しておきたいと思います。
仕組みを入れたことで、店にはすでに、伸びるための豊かな材料が毎日惜しみなく積もり続けているのですから、あとは、その材料へそっと目を向け、素直に眺め、日々の運びへと少しずつ生かしていくという、ささやかで確かな一歩を踏み出しさえすれば、伸び悩みの霧はやがて晴れていくと、私は確信しています。
大切なのは、いきなり何もかもを完璧にこなそうと気負うことではなく、まずは今週、記録をいちど開いて眺めてみるという、たった一つの小さな行いから始めてみることであり、その一歩が次の一歩を呼び、やがて店を確かな成長の軌道へと、静かに、しかし力強く導いていってくれるはずです。
移ろいゆく客の求めに寄り添いながら、より良い食事の時間を届け続けていこうとする店の誠実な志は、受注のデータという確かな味方を得ることで、いっそう遠くまで、いっそう確かに届いていくようになるのだということを、最後にあらためてお伝えして、この心得の締めくくりとさせていただきたいと思います。
データと現場の感覚とを両の手にたずさえ、焦らず、投げ出さず、しなやかに歩み続けていく店の前には、仕組みを入れただけで足を止めていた頃には決して見えてこなかった、明るく開けた成長の道が、これから先も長く続いていくのだということを、確かな手応えとともに、前を向いて信じていただきたいと思います。
まとめ
モバイルオーダーという仕組みを店に据えることは、確かに客の待ち時間や現場の慌ただしさをやわらげてくれる確かな前進ではありますが、そこで満足して足を止め、仕組みが日々集めてくれている受注のデータに目を向けないままでいると、伸びるための材料をみずから取りこぼし続け、思い描いたほどには店が伸びていかないという伸び悩みに、静かに陥ってしまいかねないのです。
仕組みを入れながら伸びる店と伸び悩む店とを分けている本当の境目は、仕組みそのものの性能や、導入にかけた費用の多寡ではなく、そこに毎日積もっていく受注のデータを、こまめに開いて次の一手へと生かしているか、それともただの記録として眠らせているかという、日々のささやかな向き合い方の違いにこそあるのだということを、まずしっかりと胸に刻んでおきたいものです。
受注のデータの中には、注文が集中する時間帯の起伏や、品ぞろえごとの人気の濃淡、客が選ぶ組み合わせの癖、曜日や季節や天候による需要の移ろい、そして客が再び店を選んでくれているかどうかといった、店のありのままの実像を映し出す無数の手がかりが、費用もかけずに日々自動で積もり続けており、それを眺めない店は、たどり着けたはずの機会を静かに見送り続けているのです。
データを使わない店には、経験と勘だけで十分だという自負や、数字は専門家だけのものだという苦手意識、仕組みが勝手にやってくれるはずだという受け身の期待、忙しさを理由にした後回しといった、よく似た思い込みの型が根深くしみついていることが多いのですが、そのどれもが、いざ小さく始めてみさえすれば、案外あっけなく乗り越えられてしまう性質のものにすぎません。
その第一歩は、決して大がかりなものである必要はなく、まずは手元の仕組みに積もっている受注の記録を取り出し、時間帯ごとや品ごとに素直に並べ替えて眺めてみるという、ごく素朴な行いから始まり、小さな問いと答えを一つずつ積み重ね、週に一度の落ち着いたひとときに淡々と眺め続けるという地道な繰り返しが、やがて店を確かな成長へと導く静かな土台になってくれます。
そして、眺めるだけで終わらせず、読み取った兆しを仕入れの量や品ぞろえの見直し、注文画面での自然な提案、時間帯に応じた人の配し方へと丹念に橋渡しし、手を打っては結果をまた眺めて次へつなげるという巡る輪を根気よく回し続けていくことで、店の構えは移ろいゆく客の求めへ寄り添うかたちへと、少しずつ、しかし確かに整えられていくのです。
その際に忘れてはならないのが、数字だけに頼りきらず、店頭で客が漏らすひと言や表情といった、数字にはすくい取れない現場ならではの手ざわりと突き合わせて判断するという、二つの目で店を見つめる構えであり、成果を焦らず、働く仲間と気づきを分かち合いながら、しなやかに続けていく根気こそが、この取り組みを店に長く根づかせてくれます。
この一連の話の根っこにあるのは、けっして脅しでも悲観でもなく、仕組みを入れた店にはすでに、伸びるための豊かな材料が毎日惜しみなく積もり続けているのだという、希望に満ちた前向きな知らせであり、あとはその材料へそっと目を向け、素直に眺め、日々の運びへと少しずつ生かしていくという、ささやかで確かな一歩を踏み出すだけで、伸び悩みの霧はやがて晴れていきます。
まずは今週、記録をいちど開いて眺めてみるという、たった一つの小さな行いから始めていただければ、その一歩が次の一歩を呼び、やがて店を、仕組みを入れただけで足を止めていた頃には決して見えてこなかった、明るく開けた成長の道へと導いていってくれるはずですので、どうか気負わず、しかし確かに、その最初の一歩を踏み出していただきたいと思います。
忘れてはならないのは、こうしてデータを生かしていく道のりにおいても、数字だけをすべての拠りどころとして頼りきってしまわないことであり、店頭で客がふと漏らすひと言や、料理を受け取るときにのぞかせる表情といった、数字にはすくい取れない現場ならではの手ざわりと丁寧に突き合わせてこそ、判断はいっそう確かで、しなやかなものになっていくのだということも、あわせて心に留めておきたいものです。
また、この営みを店主ひとりで抱え込もうとすると、いつしか負担が重くなって続かなくなってしまいがちですので、読み取った気づきを働く仲間と分かち合い、みなで一緒に眺めて語り合う習慣を育てておくことが、気づきの幅を広げるとともに、取り組みそのものを店へ無理なく根づかせていく、静かで確かな支えになってくれるということも、申し添えておきたいと思います。
仕組みやそれを取り巻く技術は、これからも絶えず新しく移り変わっていくものですので、いま整えたやり方に安住してしまうのではなく、より手軽に、より深く受注のデータを生かせる新しい道具や工夫が現れたなら、身構えすぎずにそれを取り入れていく、しなやかな柔らかさを持ち続けることが、店を末永く伸ばし続けていくうえでの、もう一つの大切な構えになってくれるはずです。
移ろいゆく客の求めに寄り添いながら、より良い食事の時間を誠実に届け続けていこうとする店の志は、受注のデータという確かな味方と、dxの流れがもたらす新しい道具とを両の手にたずさえることで、いっそう遠くまで、いっそう確かに届いていくようになるのだということを、最後にあらためてお伝えして、この記事の締めくくりとさせていただきます。